速かったような遅かったような....
MBA@UNCプログラムの1/3を終えた今の素直な感想。
自分のブログを読み返してみると、去年の今頃はちょうどいくつかのMBAの願書申請準備をしていた頃。その1年後の今、USのTop 30 Schoolの一つのMBAにどっぷり浸かって、20−30代の人たちに交じってあーだこーだ議論したりロールプレイしたりレポート作ったり、そんな自分は全く想像できていなかった。
そんな自分が今思うことを忘れないように、何回かに分けてブログに記したい。
まずは英語で議論するということ。
自分の英語は仕事するようになってから覚えたもので、Nativeや帰国子女のように生活の一部として学んだモノではない。もちろん駐在やローカルでの仕事歴15年の間に英語で仕事をして学んだものも大きいが、ネイティブの人間のように生活の一部として文化や人間関係の中で身についたコンテキストや細かいニュアンスをネイティブではない自分にはなかなか理解できないところがある。授業の前に教授が話すジョーク、グループ議論の中で他の生徒が使う独特な表現、そもそもアメリカでは常識的な行動や習慣etc...
直近のSemesterで落ち込んだ経験を共有したい。大したことないメールのやりとりながら結構落ち込んだ。
Economicsという授業で最終週に「グループで読んだPaperに対してプレゼンする」という課題があって、選ばれた4人のチームで「ある条件を満たしているCEOは高い確率でOverconfidenceとなる」という仮説を検証した30ページくらいあるHBRのPaperを読んで、問題は何か、問題を示すデータ、授業で学んだ理論の適用、実社会への適用という4つに分けたテーマで手分けしてプレゼンを作っていった。
正直Economicsという学問自体が好きではなかったこと、直近の3ヶ月が仕事の関係で忙しかったこと等、あまり熱が入っていなかったこともあるが、他の3人のメンバもほぼほぼ同じ状態だったと想像する。それでも何とか各自がドラフトを作り、それを繋ぎ合わせた上で議論してストーリーとして成立させ、プレゼンの前に提出するに至ったのだが、そこで自分の英語力によってちょっとしたザワツキを起こしてしまった。
提出期限の前日にチームの一人が「みんな一度通しで読み返して修正点がないかそれぞれ確認しよう」と提案した後に別の一人が「仕事が忙しくて明日午後まで見ている暇がない。確認したいのはヤマヤマなんだけど...」と言ってきたので、そこで私が「わかった。他の3人はもう見直しが終わったから、明日午後に最終確認してもらってチームとして提出しておいてもらえない?」とメールしたらそいつが激怒りで返答。
”お前は鬼か!できねーって言ってるのに、最後の最後の確認を任せるだけじゃなくて提出までしなきゃいけないのか? お前は頭がおかしいんじゃないか?”
おいおい、ちょっと待てよ。まだ30中頃のガキに頭おかしいと呼ばれる筋合いはねーんじゃないか?
と一瞬感情的になったが、よくメールを読み返してみると彼が「確認したいのはヤマヤマなんだけど...」という文章を仮定法で書いていた点に気がついた。あ、あの文章は「悪いけど任せる」という意味だったと気がついた時には遅かった.....
こちらは勝手に「あー、提出期限ギリギリになっちゃうけど、最後は自分でも目が通したいんだなー」と好意的に読んでいた。実際、ああいう表現の仕方でもそういう意図で書いている時もあるのだとは思うが、この彼はそうではなかった。
このケースはメールでのやり取りでの失敗だが、リアルでの議論でもこんなことは沢山あった。きっとアメリカや海外の大学を経験している学生であれば、ガツガツ自分を表現したくてしょうがない連中の中でもうまく議論に入っていくんだろうとは思う。
ところが自分は、その議論が自分の意見とは大きく違っていなければ、特に自分から発言しなくとも望むべき結論に至るのであれば、あえて自ら発言しなくてもいいか...と思ってしまうところがある。
特に今の仕事においても、まずは自分の部下に発言させて自分たちで結論を導けるように黙ってみていることが多い。軌道修正が必要な時だけ発言するようにすることで、彼らの自主的な議論とやる気を引き出すと同時に育成しているという気持ちがあるのだが、自分が学生の一人として参加しているMBAにおいてもつい自分より若い連中を前にするとそういう仕事でのスタイルが出てしまうところがある。実際に今自分の下で働いてくれているアメリカ人はChicago Booth Schoolに通っている最中で、普段からそういうMBAレベルの人間が自分の下にいて自分の指示に従って動いてくれているという現状と、自分がイチ学生として参加するという環境とのギャップが大きすぎて.....
くだらないことをツラツラ書いてきたが、プラスの側面は「そういうことに気がつけた」こと。
50過ぎになった自分にとって自分のスタイルを使い分けるのはなかなか難しい。でも「目的を実現するためには自分も変わらなきゃいけない」ということも改めて思い知るという経験ができているのは恵まれている。
前向きにいこう!!